個人的な在宅勤務記録
さて、何はともあれ歴史的に類をみない事態に発展してきているので、後から振り返るためにも何か書いていくことにします。4月1日から自主的な在宅勤務の開始
現在の家族の状況は息子2人が保育園。
妻が今週から1ヶ月前倒しで休職に入る(産休扱いは法定の期間から)。
本当は夫婦で予備試験を受験するスケジュールで、妻も1年間朝4時に起きて勉強を続けていたのですが、なにぶんリスクが大きすぎるので私も含めて受験は見送る予定です。
在宅勤務については、先行して全社導入している前職の様子などを気にしてみており、対応方針各社によるんだなと理解していましたが、刻一刻と変化する状況を見るに、一貫した対応方針が重要だと感じました。
今では正直状況に対応しながらまた通常の業務もする、というのに疲労感を感じています。
なんというか、これを乗り越えた先にある未来ってなんだろうな、とか。
ゴールの見えない辛さみたいなものですかね。
あと、気を紛らわすのがうまくできていない感じ。
やっぱりなんだかんだで出社してみんなでワイワイ仕事するのとか、通勤しながら本読んだり世間の風を受けるのはいい刺激だったんでしょうね。
また一方でアフターコロナというか、これを経た後の世界の変化には期待するところがあって、その時代の変化にはおそらくまさに自分のような人間が対応していく(ってももっとデジタルネイティブな感じの世代が台頭するので、その中では後ろの方かもだけど)のだろうな、とか。
とにかく、維持している必要が大してないナンセンスは仕組みは急速にリプレイスされそう。
なんというか、よく出来すぎた現象に見えますね。
あとはあれか、世の中の動きに対応できる人、同じ情報があっても動きが違う(自分は当事者じゃないかなと動きが遅い人)みたいなのがドンドン浮かび上がってきているような気もする。
なんとなく、コロナ禍を乗り切ろうぜってモチベーションだと、それが終わった後に「ちょっと休ませてやってなりそう。なっていいけど。
「何のために」乗り越えるのかを理由を見出したい、という感じなのかな。
自分と、愛する家族を守ることが生きる意味、というのが否が応でも向き合う日々。
何だろうな、この辺の価値観の変容はこれから分析が増えるよね。
数日前の本屋の新刊コーナーがもう、全然響かないというか、世界が変わる前の本が並んでいるような気がした。
まぁ、この
皮肉で溢れた世界
不安と怒りの過渡期
見失わぬよな進もう
適当に息抜きしながら、身をかわしながら、、、
行こうぜ!!
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