映画「SCOOP!」とコンプライアンス
福山雅治扮する「中年パパラッチ」を描いた映画「SCOOP!」を公開初日の10月1日(土)にいつものようにレイトショーで観てきました。犯罪スレスレ(というか完全に犯罪)で芸能人のプライベートを暴くそのやり口や、犯罪者の人権について口論になる場面、出版社としての「コンプライアンス」に言及されるシーンがあったのでそれに絡めて書きたいと思います。
非合法なやり方を含んでこの世の中は存在している
裁判モノ、法廷モノの映画などではほぼ100%の純度で「しつこくまとわり付く報道陣」というのは「害悪」として描かれるのですが、この映画はその害悪としての自意識がある側からの映画ということで、従来の倫理観やモノの考え方に一定の揺さぶりをかけられる感覚がありました。冒頭の「コンプライアンス」や「人権」についてはこの映画では言葉こそ出てきますが、それについては何も説明はなく、むしろ「そういう難しいのわかんないって言ってるじゃないですか!」と切り捨てられる場面すらありました。
これに対しては「けしからん」という感情は湧いてこず、むしろ作中で「よく分からない」と明言してくれたことに、映画作品としての「真摯さ」を感じました。
「コンプライアンンス」「人権」その正体について、あなたはどう考えていますか?
優先されるべき感情としての「好奇心」
芸能人のスクープ写真はそれを喜ぶ読者、世間がいるから存在している。それ以上でもそれ以下でもない。自分の仕事が「ゴキブリやドブネズミ以下」と吐き捨てながら、「金になる」から続けている。金になるということは、世の中のニーズがあるということ。そこに「有名人は有名税を払うべきだ」とか「知られざる裏の顔を世の中に知らしめてやる」という正義感などは特になく、目的は発行部数の増加、自分の食い扶持の確保それ以上でもそれ以下でもない。私自身、芸能週刊誌を購読している訳ではないが、主要なネタはネットニュースなどで結果的に目にしているので、「それを望んでいる読者」とは全く切り離された存在ではないと思いました。
プライバシーの考え方や表現の自由についての主戦場としての芸能誌
政治家のスキャンダラスな話題や、未成年の実名報道、芸能人のパブリシティ権の話など、よく考えれば写真週刊誌などはこれまでも法律に関して多くの議論を提示してきた存在でした。じゃあ、そういった雑誌について私たちはどれだけ理解しているのか、その現場についてどれだけ知っているかというと、ほとんど盲点と言っていいほど知らないのではないでしょうか。
映画「SCOOP!」を法務視点で見る人はほぼ居ないと思いますが、福山雅治ファンのみならず、映画作品としての完成度は高く、飽きさせない作りとなっています。
そして、劇中の写真週刊誌「SCOOP!」を模して作られた雑誌が普通にコンビニで手に入り、その情報量が普通の映画パンフレットの10倍以上の大満足の出来でしたので是非合わせてお手に取ってみてください。